※当ブログの趣旨※

※当ブログの趣旨※

某映画雑誌編集者との酒の席で「映画レビューを書くべき」と勧められ、「チラシの裏で良ければ」と開始した、基本は身内向けの長文ブログ。
決して知識が豊かとは言えないライト映画ファンが中の人です。

・作品を未見の方には、(極力ネタバレせず)劇場に足を運ぶか否かの指針になれば
・鑑賞済みの方には、少しでも作品を振り返る際の余韻の足しになれば

この2点が趣旨であり願いです。定期的にランキングは付けますが、作品ごとの点数付けはしません。
作品によってはDISが多めになります。気分を害されましたらご容赦下さい。
たまーに趣味であるギターや音楽、サッカー観戦録、スノーボードのお話なども登場します。

2012/02/29

(いつも以上に)長文映画レビューシリーズ 『TIME』



TIME

「ガタカ」のアンドリュー・ニコル監督が、ジャスティン・ティンバーレイクとアマンダ・セイフライドを主演に迎えて描くSFアクションサスペンス。科学技術の進歩によりすべての人間の成長が25歳で止まり、そこから先は貧困層には余命時間が23時間しかない一方で、富裕層は永遠にも近い時間を手にする格差社会が生まれていた。ある日、ひとりの男から100年の時間を譲り受けた貧困層の青年ウィルは、その時間を使って富裕層が暮らす地域に潜入。時間に支配された世界の謎に迫っていく。
ーーー映画.comより抜粋


前回の更新で少し触れた通り、非常に論ずるのが面倒臭い作品です。なんせアンドリュー・ニコル監督という人物は独特の作家性をお持ちで、乱暴にその特徴を纏めてしまうと「予め決められた人間の優劣や拘束から脱却する」お話を作り続けて来た監督。映画デビュー作である『ガタカ』然り、脚本で参加した『トゥルーマンショー』然り、ある制約のある近未来的箱庭を設定して、登場人物がその箱庭を打破していくストーリーを一貫して描き続ける。本作でもそのアイデンティティは貫かれています。この『TIME』でのテーマも無理やり一言で要約すると…

非常に分かりやすい“資本主義DIS” と、見せかけて…

冒頭の作品紹介や予告編、TVCMを見てもお分かり頂ける通り、全編を通して言っている事はズバリ「TIME IS MONEY」。こんなアートワークも出されてます。



分かり易い。実に分かり易いテーマではありませんか。
寿命が可視化されたら…?一部の富裕層が「通貨」を独占していたら…?そもそも、この「通貨」の概念を持ち出したのは誰なのか…?
そんな“制約のある箱庭”に魅力を感じるなら、劇場で鑑賞する価値はあります。そこは断言できます。
ただね、テーマはこんなにも分かり易いのに、作品中では分かり易い着地をさせてくれないのが、この作品の面倒臭いところなんですよ。


※以下、今回はやや強めのネタバレが入りますので、予備知識無しで鑑賞したい方はご注意下さい※


この作品、主人公が義賊として富豪から金を奪って庶民に配る『石川五右衛門』になる…と見せかけて、そう安易に話は転がりません。富裕層区画に入り込んだ主人公が、高級ホテルのスイートでまったりしてるシーンを挟んだり、良かれと思って10年の“時間”を分け与えた親友が、その“時間”で酒に走り死んでしまったり…。富豪に「貧民に“時間”を与えたところで何も解決しない」という直接的なセリフを用いてまで、「通貨」を貧民に分け与える事≠良き事とする描写をちょいちょい挟み込んで来るんです。

で、「主人公の父親が何をしたのか」とか「そもそもこの世界の構造を造り出したのは誰なのか」といった、観客が「そこを知りたい!!」思うであろう要素を、中途半端に触れるだけで丸ごとスルーして、ボニー&クライドよろしく主人公達がとある施設を襲撃しようとするところで、本作は幕を閉じてしまうのです。

これはもう本当に、ものっっっすごい消化不良を起こします。なんでしょうね、「体制打破行き」の電車に乗ってたつもりなのに、いつの間にか終点では「ま、自分でなんとかしてよ」って言われて出発点に戻されていたような。ちゃんと起きていたのに降りるタイミングが分からなくて山手線を一周してしまったような。

とにかくラストの締め括り方が、この絶大な消化不良感の原因。前述したように、通貨」を貧民に分け与える事≠良き事の描写を入れておきながら、ラストは「通貨」の製造元を襲撃して“時間”を根こそぎ奪ってやろうという締め括り。それで格差社会が解決するべくもない事は、よほどの日和見主義でない限り明らかな筈です。

このラストのせいで、細かいディテールまで気になってしまいます。
互いに手を繋いで上下させるだけで、頭に念じた分だけの“時間”のやりとりが可能、という設定。そんな簡単に“寿命”がやりとりできてしまうなら、そもそもこの世界、成立しないでしょ、と野暮ったい事まで言いたくなる。皆が生きる為に必死になり、可能な限り力尽くで“時間”を奪い合うディストピアしか成立し得ないのでは?
終盤、100万年分の“時間”が詰まったカプセルをスラムの人々が分け合う描写があるのですが、常に死と隣り合わせで生きて来た人々が、そんな平等に仲良く“時間”を分け合うか?それまでの切迫から少しでも長く逃れる為に、可能な限り多くの“時間”を確保しようと、それこそ死屍累々の奪い合いが勃発しそうなもんです。

当方はよく、「映画が開始した時とは予想していなかった場所に連れて行かれるのが良い」とか「“答え”は観客に委ねるお話が良い」とか言ってますが、本作は「格差社会は嫌だから、あまり意味無いかもしれないけど、試しに銀行から金奪ってバラ撒くのってどう?」って世間話をされただけに過ぎない気がしてしまいました。仮にもこの状況を良くしようぜ!ってベクトルにお話を向けておいて、造幣局(らしき場所)をぶっ潰そうぜ!で締め括って良いのか?

<結論>
結局のところ作中の問題は何も解決されません。序盤の展開にそれなりの見応えがあるだけに、相当な消化不良に陥る可能性が高い作品です。「いやぁ…、格差社会って難しいよねぇ…」という、監督の世間話に付き合う心持ちで観れば十分に楽しめます。もし本作がシリーズ化されて、最終的にはこの世界の構造を打破する所まで物語が到達するのなら、続編も期待したいと思いました。

あああああああ、ほんっとに面倒臭い作品だった…。
次回も相当に面倒臭い、『ポエトリー アグネスの詩』です。
近日中に更新します。

2012/02/28

今後の更新予定

ぐっ、『ピアノマニア』が朝イチの1回上映になってしまった……。観に行けないかも……。

さて、今後の更新予定ですが、ちょいと仕事の関係で3月は投稿が滞るかもしれません。
時間さえ取れれば鑑賞予定の作品を挙げておきます。


TIME

この作品は実は鑑賞済み。非常に考えさせられるモノがある、見応えある作品でした。
ただテーマが少々厄介と言うか、正直マジメに語るのが面倒臭い作品です。良い意味で。
近いうちに頑張ってレビューあげます。

ヒューゴの不思議な発明

惜しくもアカデミーの主要賞は軒並み『アーティスト』に持って行かれてしまいましたが、録音・視覚・音響・美術・撮影という、ルックス系の受賞を総ナメした本作。『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』と対を成すほど感動的なストーリーとの事なので、スコセッシの全盛期を見届けるべく、鑑賞したいと思います。

ポエトリー

少しTwitterで触れましたが、とにかく『母なる証明』が最近レンタルしたDVD作品の中ではトップクラスで好きで。携帯パカパカ・ウォンビン”も良かったんですけど、当方はどうも“おばちゃんが頑張る映画”に何故か弱いらしく、それを『シークレット・サンシャイン』で宗教を正面から描き切ったイ・チャンドンが監督するならば、そりゃー観るしかねーだろうって事です。

311

震災直後から被災地に入り撮影を敢行した事で、様々な物議を醸している問題作。その是非を問う意味でも、ぜひユーロスペースに足を運び、目撃しなければ、と。


尚、『戦火の馬』は予告編を観る限り、例によって当方の“地雷警報”が作動したので、しばし様子を見ます。

あとはサッカー日本代表の重要な試合が続きますので、これにも思う所があれば投稿するかもしれません。

2012/02/27

長文映画レビューシリーズ 『ペントハウス』



ペントハウス
ベン・スティラーとエディ・マーフィが初共演し、大富豪にすべてを奪われたビルの使用人たちがチームを組んで復讐する姿を描くアクションコメディ。監督は「ラッシュアワー」のブレット・ラトナー。
ーーー映画.comより抜粋


“コメディとしてもサスペンスとしても良く出来てる”との前触れを耳にし鑑賞。いわゆるチーム・クライム物と言って良いと思うのですが、あまり前情報を入れずに観た方が楽しめる作品ですね。とにかく、映画が始まった瞬間からは予想も出来ない所へ連れてってくれる、素敵な映画体験を味わえました。

ケイシー・アフレックが出てるって事を知らなくて、「あぁ、この役柄『オーシャンズ』シリーズ以来久々に観たなぁ」と思ってたら、映画自体も『オーシャンズ』っぽく転がって行きます。ただ、『オーシャンズ』と決定的に違うのは…


※以下、多少のネタバレが含まれます※


『オーシャンズ』シリーズが、プロの犯罪者集団が結託するクールな怪盗モノ(でも『12』はクソ)だとしたら、本作は素人が雁首を揃えた“ポンコツ野郎Aチーム”。足りない頭を必死に絞って、奪われた資産を盗み返す、弱者の一撃のお話なんです。このフックだけでちょっと楽しい。

主人公がそれぞれの腕を見込んでメンバーをスカウトをしに行くあたりも、実に『オーシャンズ』的ですが、その見込んだ腕が予想以上にポンコツで使えない。肝心の窃盗シークエンスも実にドタバタで、なかなか予定通りには進まない。これだけプランの脇が甘いのに、高所からのカメラワークも相まって、クライマックスはなんだかんだでゾワゾワと手に汗握る名シーンになってるのが巧い。悔しいけどハラハラしてしまいました。

ラストは序盤の伏線を綺麗に回収して、“主人公が少しだけリスクを負うが、他の皆は全員ハッピー!”という、正に『オーシャンズ11』的一発逆転どんでん返しで締め括ります。ここは単純に痛快!超気持ちいい!特に“ポンコツチーム”を横一列に並ばせて歩かせるシーンをしっかり入れてくるあたり、ベタだが憎めない!作り手はチーム物の肝を良く理解してますよね。

ただし冷静に考えて、その痛快なラストも「車の中にアレが入ってなかったら、そもそも車がアレじゃなかったら」何一つ成立してなかったんですよね。極めて行き当たりばったりのクセに、主人公がしたり顔で「チェックメイト」とかぬかしやがりますが「お前、出たとこ勝負をたまたま勝ったに過ぎないから!!」と突っ込みを入れたくもなります。車を「どうやってあの場所に上げたのか」も曖昧にして誤魔化された気もしますし。

それでも、これだけ楽しい要素を詰め込んでテンポ良く語り、最後は痛快なカタルシスを産み出して、エディ・マーフィーの顔芸とマシンガントークも久々に堪能できて、104分というコンパクトな尺に纏めてくれたら、OK!!!『キツツキと雨』の制作陣もこういう語り口を勉強して頂きたいものです。

<結論>
ツッコミどころは少なくないものの、ラストはキッチリ締め括って、“弱者の一撃”を痛快且つコンパクトに描いてくれた、チーム怪盗モノとしての佳作に出会えました。「必見!」とは言えないかもしれませんが、“時間が合ったら観ると楽しい映画”として最高でした。

2012/02/26

長文映画レビューシリーズ 『キツツキと雨』




「南極料理人」の沖田修一監督が、無骨な木こりと気の弱い映画監督の出会いから生まれるドラマを役所広司と小栗旬の初共演で描く。とあるのどかな山村に、ある日突然、ゾンビ映画の撮影隊がやってくる。ひょんなことから撮影を手伝うことになった60歳の木こりの克彦と、その気弱さゆえにスタッフをまとめられず狼狽する25歳の新人監督・幸一は、互いに影響を与えあい、次第に変化をもたらしていく。



予告編からはジワジワと「これは……危ないかも」と自分の中の地雷探知機が警鐘を鳴らしていたものの、近所の劇場が割引デーだったのと、ネット上ではなかなかの好評となっている作品だったので、「これが面白かったら南極料理人も観よう」と決めて鑑賞。結果、逆の意味で『南国料理人』も観なければならないな、と決意しました。まぁ何と言うかですね……

ファンタジーならファンタジーって先に言っておいて!

年輩の客層が多めだったとは言え、劇場ではあちこちで笑い声が起こっていて、久々に世評との著しい乖離を実感しました。こういう状態になると「なんか頭デッカチになっちゃって、大事な感性どっかに落として来ちゃったかな…」と、非常に悲しい気持ちになるんですね。
なので、必死に冷静になって、沖田修一監督の人となりや本作のインタビューなんかを調べて、幾らかフォローする気持ちも湧いては来ました。でも……やっぱりおかしいよこの映画!!


※以下、多少のネタバレが含まれます※


役所さん演じる克彦の不器用な優しさや、高良健吾との不器用だけど確かな親子愛を見せる序盤は、むしろ楽しく観る事が出来ました。ただ純粋に楽しめたのはせいぜい開始5分程度。

オープニング早々、「はい?」の“テンドン”から始まるわけですが、ここから既に「くどいなぁ……」と暗雲が立ち込める展開。とにかく全体を通してテンポが鈍重。無駄にたっぷりと“間”を取るのですが、その“間”に対して物語がちっとも進行しないので、単に苛々させられるばかり。そもそもこういう“間”って、演出の緩急があってこそ初めて機能するものじゃないですか。本作、ずーーーっと緩みぱなし。文字通り“間延び”しているだけ。

何しろ劇中劇であるゾンビ映画のクォリティが酷過ぎるでしょ。「人口が激減して、ゾンビとの共存を探る近未来の話」って説明しといて、ババァが竹槍で“死ねぇ~~~!”って特攻する作品ですよ。あのさ、何でこの企画通ったの?
「撮影されるゾンビ映画が、自主映画っぽいB級感があって良い」ってレビューも目にしましたが、いやいや、この規模は自主映画のそれを軽く凌駕してますよ。メイクさんだけで数人準備出来ていて、ちゃんとフィルムで撮ってて、即興で“レール”が用意出来るくらいの設備も整ってる。おまけに村人がこぞって黄色い声を上げるくらいの大物俳優(山崎努)らしき人も配されてる。
つまり監督自身が手掛けたこの脚本を、何かしらの理由があって誰かが評価して、そこそこの予算を掛けて映画化してるわけでしょ?その必然性が全っ然わからない。映画の規模と内容が全く伴ってないんです。


映画監督である幸一(小栗旬)の背景をちっとも描かないのも問題で、ただでさえ感情移入し辛いキャラになっている(靴下を履くシーンで聞こえる“幻聴”は最後まで回収しないので、もはやイっちゃってる奴にすら見える)のに、この幸一君は……

・何故かクソつまらない脚本が通って映画化され
・それまでの経歴も一切分からないのに何故か監督に抜擢され
・やっぱり身の丈に合わなくて逃げ出そうとするヘタレだけどクビにはならず
・ちょっと本を誉めてくれた田舎のオッサンにほだされ
・そのオッサンの言いなりに進行してたら、何故か周りの大人が誉めてくれる

……と言う、超絶的に恵まれた環境で監督に祀り上げられた男なわけです。作中で描かれる“成長”って言ったら、せいぜい「よーい…ハイ!!」と「カット!!」をまともに言えるようになっただけ。それなのに例の大物俳優は「また呼んでよ」って声を掛けたりする。なんで?あれだけお尻を痛めながら、グダグダとした進行でワンカット撮るのにも苦労したのに(またこのシーンがくどいことくどいこと)。
要するに、映画監督である幸一が終始周りから甘やかされっぱなしの作品なわけです。

沖田監督のインタビューを鑑賞後に観るとよく分かります。言いたくないけどこの作品は、前作『南国料理人』で必死になって一本撮り終えて、色んな気苦労があった中で作品は評価された、沖田監督自身を作中の幸一に投影させてる映画なんですよね。キャリアもコミュ力も無いけど、たまたま理解ある人に支えられて一皮剥けるって話。気持ちは分かる。分かるけど、それがやりたいんだったらもうちょっと劇中劇のクォリティ考えましょうよ。

<結論>
これを「B級感が逆に良い」とか「アンニュイで心地良い」とか「良い意味でキッチュ」とか「ゆるふわ~」とか「ほんわか~」とか、よく分からない言葉でを無理矢理評価する論旨(荻上直子作品の評なんかによく見られる)には、当方は一切同感する事が出来ません。

「僕の才能は、乱暴で心無い映画製作現場従事者には分からない!素朴で純な心を持つ田舎のオッチャンにこそ理解されるんだ!こんな僕が作る映画は、例え題材がクソでも評価されるんだ!!」と言いたいだけの、超生温いファンタジーとしてのみ、鑑賞に耐え得る作品でございました。


冒頭に書いたとおり、これはいよいよ本気で『南国料理人』を鑑賞しなければいけなくなりました。や、本当に評価が高い作品なので、『キツツキと雨』がたまたまイレギュラーだっただけ、と信じてレンタルしたいと思います。

2012/02/22

(いまさら)長文映画レビュー 『ディア・ドクター』




ディア・ドクター


「蛇イチゴ」「ゆれる」の西川美和監督が、笑福亭鶴瓶を主演に迎え、僻地医療を題材に描いたヒューマンドラマ。都会の医大を出た若い研修医・相馬が赴任してきた山間の僻村には、中年医師の伊野がいるのみ。高血圧、心臓蘇生、痴呆老人の話し相手まで一手に引きうける伊野は村人から大きな信頼を寄せられていたが、ある日、かづ子という独り暮らしの未亡人から頼まれた嘘を突き通すことにしたことから、伊野自身が抱えいたある秘密が明らかになっていく……。


『J・エドガー』を観た時に、「そういえば数年前にもこんなテイストの邦画あったな」と思い出したのが、この『ディア・ドクター』。2年以上前の作品ですが今更レンタルで鑑賞。環境は全く異なるものの、片やFBI、片や僻村で、それぞれ“神”となった男の抱える虚実。嘘の奥で守りたかった秘密のお話、という意味では『J・エドガー』と非常に類似点があったように思います。安易な結論に物語を着地させず、“答え”を観客に委ねて来る、という意味でも。


※以下、序盤で明らかにはなりますが、本作の最大の“嘘”の中味にも少し言及(ネタバレ)します※


一言で言えば、“嘘についてのお話”。
序盤に出て来る「僕、免許無いねん」というストレート過ぎる語りに代表されるように、わりとハッキリとセリフで問題提起をしてくるので、作り手側のメッセージをダイレクトに受け取る事が出来ます。
「資格とは?」
「医療とは?」
「人の幸せな最後とは?」

そして、「嘘とは?」

物語上で分かりやすい着地は一切させず、主人公がどういう動機でこの村にやって来たのかも、事実が発覚した後に村人達が主人公をどう受け止めたのかも、“嘘”に加担した人々の狙いとその後も、悪く言えば“投げっぱなし”。
特に余貴美子の役どころは、もう少し説明があっても良かったのでは、とは思いますが、嘘と真実の皮膜にある何かを、観客に考えてもらいたいという狙いは大成功しているのでは。

何よりエンドロールで流れる本作の主題歌、モアリズムの『笑う花』がばっちりハマってて、この物語の締めくくりとして最高でした。
他にも、さり気ない細部の演出がなかなか良くて、気付けばテレビで野球を観てる八千草薫さんが凄くチャーミングだし、ある待合室のシーンで、最初は見えないけど、時間が経つと……井川遥来てたーー!!という一種ホラー的な見せ方もとても楽しかった。『ゆれる』といい、この『ディア・ドクター』といい、脚本も自身で手掛ける西川監督は、相当デキる女性に間違いありません。

これも『J・エドガー』と共通する語り口として、作品全体が非常に淡白で、クライマックスと呼べる盛り上がりは最後までありません。特に終盤は事態への説明が意図的に排除されているので、先述したように余貴美子や香川照之の意思が曖昧なまま物語は幕を閉じてしまいます。劇映画として、もう少しこの辺は回収してくれた方が良いのでは……?とも思いました。
しかし“真相がわからない状態”である事そのものが、“嘘についての映画”の唯一の着地点なんですよね。日常に於いても、本当の意味で他人の真意を知る機会がどれだけあるでしょうか。

<結論>
全体的にあっさりとした作品ですが、観終わった後に誰かと“嘘”について語り合いたくなる良い映画でした。
但し本作の中で起こるように、一発で人間関係が崩壊し、後味の悪い空気だけが残る可能性もあるので、語り合う相手は慎重に選びましょう。

2012/02/20

長文映画レビューシリーズ 『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』



「9・11文学の金字塔」と評されたジョナサン・サフラン・フォアによるベストセラー小説を、スティーブン・ダルドリー監督が映画化。9・11テロで最愛の父を亡くした少年オスカーは、クローゼットで1本の鍵を見つけ、父親が残したメッセージを探すためニューヨークの街へ飛び出していく。脚本は「フォレスト・ガンプ 一期一会」のエリック・ロス。オスカーの父親役にトム・ハンクス、母親役にサンドラ・ブロック。



「2カ月ちょっとでこんなに良い映画ばっかり観れていいのかなぁ?」となぜか申し訳ない気持ちに襲われるくらい、今年の名作ラッシュ感は半端無い。その中でも極めて“泣ける映画”として、原作小説既読層からプッシュされていた本作。当方はまだ原作を読めていませんが、無理やりにでも時間作って絶対に読みたいと思っています。

端的に今の感想を一言でまとめると…

どんだけ泣かすねん!!

そりゃ“9.11”を少年からの視点でこれだけ悲しくも美しく語られたら泣くよ!ズリーよ!
複数作られてきた“9.11映画”の中で、間違いなくダントツのクォリティを放つ傑作でしょう。日本人でこれだけ泣ける作りなんだから、米国人が観たら干からびちゃうんじゃないの?

ただ同時に、これ絶対原作小説の方が面白いと確信に近いレベルで感じました。原作の持つ“活字のカロリー”が、映画の尺に明らかに収まり切って無いのが分かります。映画は映画で素晴らしいのですが、こういう“主人公視点のモノローグで語るお話”は、絶対小説の方が入り込める筈です。

しかしこんなにもアメリカ賞レース向けの作品なのに、アカデミー作品賞は下馬評通り『ヒューゴの不思議な発明』が獲るんですかね?“9.11”から10年後に本作が映像化された意義は少なくないと思うのですが。そしてどう考えても、主演男優賞は文字通り“オスカー”役のトーマス・ホーン君にあげるべき!!


※以下、多少のネタバレが含まれます※


なにしろですね、この難しいオスカー役を見事なまでに演じ切ったトーマス君に大絶賛を贈りたいのです。中盤、“グランパ”に9.11のトラウマを一気に捲し立てるシーンと、終盤“ブラックさん”に“6件目の留守電メッセージ”を語るシーンの緩急、何ですかアレは。途中からオスカー君が画面で物憂げな表情してるだけで、もうそれだけで泣けてきちゃうんだから末恐ろしい役者が現れたな、と。ここは掛け値なしで称賛したい点。

トム・ハンクスが出てて、脚本がエリック・ロス…という事を意識しなくても、本作は“2000年代のフォレスト・ガンプ”として観ちゃいましたね。すこしだけ障害があり、でも限りなくピュアでジーニアスな主人公が走る。ガンプは最愛の人と息子に救われたけど、オスカーは母に救われながら、意図せず多くの“ブラックさん”(=NY市民)を救っている。この構図だけでも涙!。

メンターとしての“グランパ”の存在が非常に効果的に作用してましたし、終盤のサンドラ・ブロックの「Let it go,Let it go…」から始まる“ブラックさん巡りの旅の真実”といい、グランパに無理やり留守電聞かせる鬼畜の所業といい…もうね、泣くに決まってんだろそんなもん!!「もう…勘弁して下さい…」って涙腺が悲鳴を上げるレベルで、とにかく泣かせ所の容赦無いつるべ打ちなわけです。少なくとも、こんなにもタンバリンの音が悲しく聞こえる映画は無いのでは。そして「歩け歩け地獄ってのはこういう風に描くんだよ!!」と映画版ヒミズのスタッフに見せてやりたい気持ちになりました。“鍵”が直接的には“パパとの8秒間”を埋めるキーにはならないのも巧いなぁ。

唯一どうしてもイチャモンを付けたい点として、“グランパ”が非常に魅力的に描かれていただけに、最後までオスカーの成長と寄り添わせて欲しかった。これは尺の問題でしょうが、彼が失語してしまった原因等もしっかり回収してくれたらほぼ文句は無かったです。


<結論>
言ってしまえば「アメリカのアメリカによるアメリカの為の映画」で、9.11が本来持つ根の深さや問題は、J・エドガーよろしく“抹消”しています。ゆえに「まーたアメリカのアメリカ賛美か」と取る事も出来なくは無いとも思います。
でもあくまで本作は、「あるヘソ曲がりな少年がトラウマを乗り越え、意図せず周りを少しだけ幸福にしながら成長していく」というお話こそが本筋で、ここは本当に良く出来ていると思います。震災を経験したばかりの我々にも響く要素が数多くあるのでは。

そこまで深く考えなくても、単純に「泣きたい!!」と、映画にデトックスを求める方にも自信を持ってオススメ出来る良作。原作小説を読み込んで、さらに涙腺を虐め抜いてやろうと思います。

2012/02/18

(いまさら)長文映画レビュー 『X-MEN:ファースト・ジェネレーション』



人気アクションシリーズ「X-MEN」のプリクエル(前章)。後のプロフェッサーXことチャールズ役に「つぐない」のジェームズ・マカボイ、マグニートーことエリック役に「イングロリアス・バスターズ」のマイケル・ファスベンダー。監督は「キック・アス」のマシュー・ボーン。

X-MENシリーズは、アメコミ原作もゲームも過去の映画作品も全く食指が伸びず、「何かツメの尖ったアイツが頑張るアレ」くらいの認識くらいしか持っておりませんでした。なのにわざわざ本作をレンタルで今更鑑賞した理由は以下の2点。

■マシュー・ボーン監督の前作『キック・アス』がとにかく最高だった!
■本作は“X-MEN童貞”向けの作品で、それくらいの方がむしろ楽しいらしい!

……特に後者は周りの映画好きがこぞって「リメイクとして大成功している!」と太鼓判を押してくれたので、マシュー・ボーンへの期待を確信とするべく、38度の熱を押して布団にくるまって観たのです。

結果、やはりコンディションの優れない時に、無理に芸術作品に触れるモノではありませんね。

……あれ?楽しくないぞ……?

と、終始お話に乗り切れないままエンドロールを迎えてしまいました。
ストーリーテリングやVFXでの演出のいずれにも琴線が反応せず、「この不感症状態は何が原因なのだ?」と己を問いただしながらの鑑賞を余儀無くされました。で、マイノリティとして迫害されたり対立してしまったりするミュータント達に、感情移入出来ない以前に「どうでもいい」とすら思って観ている自分に気付いたんですね。

以前から、いわゆる「超能力」を実写で可視化されると萎えてしまうタイプで、『バンシー』が口からボワワワーンと円状の超音波を出した時点で、急激に脳内が冷めていってしまいました。思えば同じアメコミ原作でも、「超能力者」ではなく「狂気に捉われた者」が敵役となる場合の多い『バットマン』シリーズはわりかし好みで、『ダークナイト』なんかは楽しんで観れたんですよね。で、『スパイダーマン』はやっぱりもう一つ乗れなかった。生身の人間と、その人間が起こす超常現象の画的な不釣り合いがどうしても気になってしまって、どんなに素晴らしいCGで構成されていたとしても「アニメでやればいいのに」と思ってしまうんですね。

キング牧師とマルコムXを想起させるチャールズとエリックの静かな対立なんかは、非常に印象的に描かれていましたし、最近だと『トランスフォーマー/ダークサイド・ムーン』に見られたような、虚実の皮膜を感じさせてくれる“史実の裏側の真実”的キューバ危機の利用もベタではあるけど良かった。
特にあちこちで絶賛されている通り、ミュータント達のスカウトシーンとトレーニングシーンは、王道中の王道で単純にアガる!なんか『メジャーリーグ』の1作目あたりを思い出しましたね。作品全体としては、評判通り“童貞層”を惹き付けるには十分な程に魅力的に仕上がっている事は確かだと思います。

<結論>
原作のファンからも一定の評価を得ている様なので、やはり当方に“超常現象可視化の系譜”と折り合うスキルが欠落していた様で、何かの修行不足を痛感しました。何を鍛えれば克服出来るかも分かりませんが。
どなたか、この系譜の作品のオススメありましたらご教示下さい。

『スター・ウォーズ』があるじゃん!って言われそうですけど、アレは超常現象が可視化されるのって、皇帝の電撃くらいですよね?フォースって意外と目には映らないですもんね。

2012/02/17

(いまさら)長文映画レビュー 『アジョシ』



アジョシ

「母なる証明」のウォンビンと「冬の小鳥」で絶賛された子役キム・セロンが共演し、2010年韓国で630万人を動員したサスペンスアクション。過去のある事件をきっかけに、世間を避けるように孤独に暮らしていたテシク。隣家の少女ソミは母親が仕事で忙しく、テシクを「アジョシ(おじさん)」と呼び、たった1人の友だちとして慕っていた。そんなある日、麻薬密売に巻き込まれた母親とともにソミが犯罪組織に誘拐され、ソミを救うため組織を追うテシクは事件の背後に隠された真実を知る。



それほど韓国映画に明るくない当方は、どうせウォンビンの、ウォンビンによる、ウォンビンの為の映画でしかないんだろうと思って劇場での鑑賞を避けていました。しかし先日『母なる証明』を鑑賞し、巷で噂の“携帯パカパカ・ウォンビン”を観たら、今更ながらこの男への信頼度が一撃で神レベルに到達。こうなったら観るしかないだろ、って事で本作をサクっとレンタル。結果…


ウォンビン、かっこえええええええ


なんだこの瞳のキラキラ具合。そのキラキラが後半は逆に恐ろしく見える、感情の揺らぎもしっかり演じてくれる。アクションも文字通り体当たりで挑戦していて、肉体的な説得力もある。この男、只のイケメンではないぞ、と。本当に本当に素晴らしい役者だと遅まきながら認識を改めさせて頂きました。

イ・ジョンボム監督の手腕も相当なもので、まぁテンポが良くて120分があっという間。画の作りもウォンビンの格好良さを存分に引き出してくれるし、特に格闘シーンの迫力、ナイフアクションの新鮮さは、残虐シーンに弱い人でも(「血」さえ耐えられれば)間違い無く楽しめる。端役に至るまで、キャスティングとキャラの立ち具合も最高。シリアスなお話なのに笑わせ所も豊富。

それに加えて、ストーリーテリングが上質の極み。伏線を伏線と感じさせない見事な配置と、決して説明的でない人物の掘り下げ。あの敵役のベトナム人の描き方には心から絶賛。ラストは号泣ですよ。

デフォルメされ過ぎなキャラ(特に悪役の弟)が鼻についたり、ウォンビンのセリフがキザ過ぎる点もあり、100点満点!とは言い難いのですが、この映画が2010年の韓国での興行収入No,1っていう土壌が本当に羨ましくなります。

<結論>
確かにちょっと“ウェット過ぎる”という声があるのも分かります。特にラストはあまりに美談テイストが強いな、とは思いました。しかし、韓国映画と言えば救いの無い、鈍重バイオレンスばかり……というイメージが先行していた当方にとっては、このウェット過多なテイストすら心地良かったのです。

傑作!大傑作!ウォンビン最高!

2012/02/15

(いつも以上に気持ち悪い)長文映画レビューシリーズ 『ドラゴン・タトゥーの女』



ドラゴン・タトゥーの女

スティーグ・ラーソンの世界的ベストセラーを映画化したスウェーデン映画「ミレニアム ドラゴン・タトゥーの女」(2009)を、「セブン」「ソーシャル・ネットワーク」のデビッド・フィンチャー監督がハリウッドリメイクしたミステリーサスペンス。経済ジャーナリストのミカエルは、資産家のヘンリック・バンゲルから40年前に起こった少女の失踪事件の真相追究を依頼される。ミカエルは、背中にドラゴンのタトゥをした天才ハッカーのリスベットとともに捜査を進めていく。主演はダニエル・クレイグと「ソーシャル・ネットワーク」のルーニー・マーラ。---映画.comより抜粋


先に鑑賞したい映画が山ほどあった中、この作品を優先して観た理由は一つ。「デビッド・フィンチャーだから」。『セブン』、『ファイトクラブ』は大ファンだし、『ソーシャルネットワーク』でも面目躍如を見せたこのデキる男を信頼して、プライオリティをすっ飛ばして観て来ました。いつも通り当方のスタンスを先述しておくと…

■スティーグ・ラーソンの原作小説三部作は全て未読
■スウェーデン版の映画化も全て未見
■屈指の“愛猫家”

…という、『AUTB』に続き完全な「童貞状態」であり、ネコを愛してやまない人間である事を踏まえた上で、以下お読み頂けましたら幸いです。

とにかく冒頭から宣言したい事。この作品は……

「ネコ映画」である!

この一言で集約してもいいくらい、もう誰が何と言おうと本作は「ネコ映画!」「ネコを愛でる為の作品なんだ!」と、当ブログで初めてフォントサイズを変えてまで高らかに宣言させて頂き、以下はいつも通りの駄文でお送り致します。


※以下、多少のネタバレが含まれます※


今回は(一応)ミステリーという事で、いわゆる“謎解き”部は避けて語りたいと思います。と言うか、カッコつきで(一応)とした通り、ぶっちゃけこの映画、ミステリー部はどうでもいいとすら思えるくらい、主役二人の、とりわけ『ドラゴン・タトゥーの女』その人であるリスベット・サランデルの、キャラとしての魅力に尽きる映画です。この人を描きたいが為にコロンビアが権利買ったんじゃないの?

ミステリーの設定は、なんてこたぁないスウェーデン版の『犬神家』(ハつ墓村でもOK)です。これだけで日本人ならスッと物語に入っていけることうけあい。あとはフィンチャーの系譜で『セブン』の雰囲気も少し漂いますね。伏魔殿さながらの一族のドロドロ劇が、聖書になぞらえたような猟奇的な連続殺人事件に結び付く…という展開なのですが、お世辞にもミステリーとしての語り口は達者とは言えず、非常に分り辛い作りになっています。

これは作中で主人公に「どなたがどなただか混乱して…」と言わせてるくらいですから、敢えて入り組んだ作りにしているのでしょう。原作ファンなら恐らく問題無く飲み込めるのだろうし、未読組としては追って小説を読みたくなる効果もありました。ただ真犯人が実にショボい。シリアルキラーらしい存在感皆無。これはいただけなかった。

でも繰り返しますが、本作はキャラ映画(断言)なので、ミステリーとしてどうこうなんて能書きは必要無い(断言)!
なんせ、ミカエルとリスベットの二人の視点で物語が進行して、事件解決の為にこの二人の物語がクロスするまでにたっぷり1時間以上を掛け、徹底して二人のキャラを掘り下げるんです。
特にリスベットは、屈辱でまみれてもタダでは起きず、大人しく服従したかの様に見せてからの……全力の反撃!隠していた爪の鋭さと恐ろしさたるや、まさにネコ!!
ミカエルも社会的に崖っぷちに陥り、伏魔殿での謎解きを迫られるさなか、ついついネコを匿ってしまう。リスベットと初めて接触するシーンも、ネコを匿った時と同様「とりあえずエサをやる」。根は優しい、憎めない男である象徴として、ネコが効果的に作用しているわけです。

そして、そんな二人がタッグを組み、いざ真犯人を突き止めん!と意思を疎通させ結託する、まさにキッカケとなるのが……前述した通り、ショボいシリアルキラーの手に墜ちた“ネコ”。このシーンを観た瞬間に本作の真犯人は、全世界50億人の愛猫家を完全に敵に回しましたよね。「こんなヤツぁ生かしちゃおけねぇ!!」と。「やっちまえリスベット!!」と。
そもそもこの真犯人、劇中に限って言えば、実は自分の思い通りに出来たのはこのネコくらいなんですよ。実にショボい。そしてリスベットという最強のネコに返り討ちに遭う。こんなショボいラスボスは、あんな最後じゃヌル過ぎる!とも思いましたが、まぁリスベットの手が直接汚れなかった事で良しとしてやります。

いつもに増して非常に気持ちの悪いテンションで綴っておりますが、キャラを抜きにして、今作でもフィンチャーの手腕は流石。
カレンOの歌う『移民の歌』に乗せたオープニングの映像がソリッドでメチャクチャ格好良いし、観てるだけで凍えてくる、色調を抑えた冷たい画の作りも良い。リスベットのジリジリとした憤怒を観客とリンクさせてくれる音の使い方や、クールの一言に尽きる“エスカレーターアクション”も最高。「少しやり過ぎなのでは……」と言いたくなるリスベットへの凌辱シーンも、その後のリベンジ劇で最高のカタルシスを生成するのに一役買ってくれましたね。「世のアホな男どもなど、全てリスベット様の手で●●●●されてしまえばいい!!」ってなもんですよ。

「リスベットがミカエルに惹かれる理由が分り辛い。描写不足」という声もあるようですが、良いんですよそれで。だってネコなんだもん。気まぐれなんだもん。惹かれたというより“懐いた”のが正解なんですよ。脳出血で倒れちゃった弁護士のおじいさんが、それまでのリスベットの宿主だったんですよ。本作のラストシーンが実に顕著で、リスベット自身、「ミカエルへの感情の正体が何か」が分かっていないんじゃないですかね。
ミカエルもミカエルで、思わずノラを匿っちゃう男としてちゃんと描いてますから、突然“ネコ”が胸元に飛び込んで来たら、そりゃー愛するのが人情ってモンでしょうよ!ネコを通して見ると、優柔不断なミカエルも途端に愛らしいキャラに見えてくるから不思議ですよね!

<結論>
原作やスウェーデン版の映画ファンが観た評価は、どうも“もう一つ”感があるようです。ミステリーとしての脇の甘さも確実にあるとは思います。しかしとにかくリスベットの佇まい、フォルムが素晴し過ぎて、ここだけは非の打ち所がないのでは。『ソーシャルネットワーク』で、凡庸な女子大生を演じていたルーニー・マーラと同一人物とはとても思えない。オスカーノミネートも納得の一言。

個人的には、早く続きが観たい!小説もスウェーデン版も全部観たい!3部作全部追いかけたい!っていうか、この凸凹コンビの活躍がもっともっと見たい!!!と思わせてくれた名作でした。ネコって本当に素晴らしいですよね。

2012/02/12

長文映画レビューシリーズ 『はやぶさ 遥かなる帰還』


はやぶさ 遥かなる帰還

2010年6月13日、7年間60億キロの宇宙航海を経て小惑星「イトカワ」の微粒子を地球に持ち帰った小惑星探査機「はやぶさ」。世界初となるその偉業を支えた人々のドラマを描く。主演の渡辺謙がプロジェクトマネージャーの山口駿一郎に扮し、「犯人に告ぐ」「星守る犬」の瀧本智行監督がメガホンをとる。---映画.comより抜粋


"はやぶさクロニクル"映画化の、全天周(プラネタリウム)版、堤幸彦監督版に続く第三作。過去二作については、以前少しだけ触れました
当方のスタンスは、「はやぶさにまつわるストーリー最高!それだけで見所盛り沢山なのだから、映画化は無理に脚色し過ぎない方が良い!」と言う、ちょっと気持ち悪いレベルの「はやぶさファン」である事は先に表明しておきます。

この『遥かなる帰還』は、ポスター等を見ても分かる通り、明らかに20代後半~40代のオトナ世代をターゲットに創られています。若年層は、イケメンを主役に起用し画も飛び出てくれる『おかえり、はやぶさ』の方が楽しめるんでしょうし、もっとTV的な、言ってしまえば″ライト″な感動話が良ければ堤幸彦版を観ればいい。そうか、ちゃんと住み分けがされていたんだな、そもそも狙いが違うんだな、そう考えると竹内結子も報われるな、と今になって思ったりしてます。

そして本作のターゲットのド中心である当方は、男達が淡々と苦難に立ち向かい、フィクショナルな人間ドラマは極力抑えられたこの作品に素直に共感出来たし、これくらいのトーンが「はやぶさ」を描くには丁度良いのではないか、と考えます。


※以下、多少のネタバレが含まれます※


「はやぶさ」の肝とも言える、いわゆる「はやぶさ擬人化作戦」を今作は完全にスルー。あらゆるトラブルに立ち向かうプロジェクトチームの姿をじっくりと描き、それを見守る立場の"傍観者"が主にストーリーを紡ぐ。「新聞社の宇宙担当」という"傍観者"としてこの上なく分かり易い位置に夏川結衣を配し、家族の背景を掘り下げて加味した点、安易に「はやぶさ」を擬人化せず、語り部をちゃんと用意した点に、まず「それ正解!」と言いたい。彼女の目線で物語を追う事が出来るし、その感動的なストーリーを自分の実人生にフィードバックする、最も観客に近い立場の人物、即ち「はやぶさにヤラレちゃう人」の体現者として機能してくれたから。堤幸彦版で、"傍観者"と"物語の語り部"と"はやぶさ擬人化作戦"の全てを竹内結子に担わせてしまって、そのどこにも焦点が合わず、作品全体も中途半端になってしまったのとは実に対照的です。

プロジェクトチームも徹底して身近な存在として描くんですよね。研究所はボロボロでガムテープで床を修繕してたりする。ロケットを打ち上げれば振動で埃がコーヒーに落ちる。ボールペンをカチカチさせる癖のあるリーダーが居て、貧乏ゆすりが止まらない人も居て、商品として成功を収めたい企業のアイデンティティを貫く人も居る。そしてパーツの試作品は小さな小さな町工場で作られている。要するに「俺たち普通の日本人の小さな技術の結晶が、この奇跡を生み出したんだ!」という感動に集約させる訳です。これは「はやぶさ」の持つカタルシスのとても大事な要素だし、劇映画として最も共感を生み出せる、唯一と言っていい"勝因"だと考えますがいかがでしょうか。

逆に、そうした「普通の日本人」を序盤で長々と描写していくので、ここが映画的にヒマだなぁ、もっと大々的なコトが起こらないかなぁと退屈を覚えてしまう危険も秘めてると思います。しかしながら、部下の「NO」を悉く「YES」に変えていく、変える工夫を凝らす渡辺謙に「仕事ってそういう事だよな!」と思いっきり感情移入してしまった当方は、終始楽しめました。
中でも白眉は"はやぶさのラストショット"の描き方。単に1枚の写真だけで感動を煽るのでは無く、何枚も真っ黒な失敗画像を見せておいてからの…!という演出に、今作のテイストと醍醐味が集約されていました。ここは本当に素晴らしいシーン。

但し残念だった点も少なくは無くて、特に吉岡秀隆の、あの独特の粘度の高い演技は、正直ちょっとクドかったです。「商品云々も分かるけど、そこまで激昂する事か?可能性が有るなら、いち早くはやぶさを帰還させる事こそが最優先じゃね?」と。映画の尺から見ても、イオンエンジンが復活するか否かがクライマックスに当たるので、そこでクドクド我儘を垂れられるとイラっとしてしまうんですね。羅列される難解な専門用語の応酬にも特に解説はしてくれないので、全く「はやぶさ」に興味が無い層の鑑賞には耐えられないのも難点。ここは堤監督版を見習っても良かったのでは。

その他にも色々言いたい事はあるのですが、フィクショナルな要素は出来るだけ排し、エンドロールの最後の最後まで日本の宇宙開拓史への最大限のリスペクトを徹底した制作陣に拍手を贈りたくなる、良い映画だったのではないでしょうか。贅沢を言えば「はやぶさが見つかるパーセンテージ」のトリックとか「こんな事もあろうかと!」的盛り上げとか、面白くなる要素をもっと活かして欲しかったな、とも思います。しかしそれらを全て映画で描き切るには、「はやぶさ」には魅力が有り過ぎる、という事だとも思うのです。
"はやぶさクロニクル"未見の方は、是非とも全天周版と併せてご覧になってみて下さい!損は無いはず!!


あらゆる危機を様々な人々の活躍で乗り越え、最後は身を挺して地球にメッセージを届けた、"惑星探査機界のブルース・ウィリス"(当方が勝手に言ってるだけです)こと「はやぶさ」のアルマゲドンは、3月10日公開の『おかえり、はやぶさ』まで続きます。
"ボロをまとったマリリン・モンロー"の映画的評価は何処に着地するのか、楽しみ楽しみ。

2012/02/11

今後の更新予定

多忙を極めながらも映画館にだけは足繁く通っております。映画レビューが予想以上にPVを稼いでしまって(主にAKBドキュメンタリー)ビビっております。

今後の映画レビューは以下の作品を予定しております。

はやぶさ 遥かなる帰還
当ブログの2011年シネマランキングで執拗に取り上げた「はやぶさ」シリーズ。この渡辺謙バージョンが本命と捉え、本日鑑賞致します。

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い
ポスターのビジュアルワークの素晴らしさ、そして何と言ってもタイトルのインパクトで、いわゆる″ジャケ鑑″を決めた作品。思い切った邦題つけるなぁと思ってたら、原題も『Extremely Loud and Incredibly Close』なのね。監督がスティーブン・ダルドリー、脚本がエリック・ロスという素晴らしいコンビなので、ハズレなしと見て期待しております。

ピアノマニア
新宿シネマートで予告編を観た時に、これは観たい!と胸を膨らませたドキュメンタリー。単館でスケジュール的に厳しいのですが、何としても見届けたいです。


非常に残念な事に雪山に行く時間が作れそうに無く、今シーズンはスノボ童貞で終える可能性が高い事が物凄く悔やまれます。よって、スノボの話題は当分無いでしょう…。
Jリーグが開幕したら、サッカー関連の話題もちょくちょく更新すると思います。とりあえず先日の五輪予選のシリア戦後は、ここに怒りの更新をブチまけてやろうかとも考えましたが、言いたい事は結局、

「関塚監督はお辞め頂いた方が良い」
「山村はCB要員として、中盤には扇原、或いは柴崎岳を中心に据えるべき」

この2点に集約される事に気づきました。どうやら協会は関塚監督を今からどうこうする気は無さそうですので、事態が好転する事を祈るのみです。


では、はやぶさ渡辺謙バージョンを観て来ます。

2012/02/07

長文映画レビューシリーズ 『荒川 アンダー ザ ブリッジ THE MOVIE』



荒川 アンダー ザ ブリッジ THE MOVIE

2度にわたりTVアニメーション化もされた中村光の人気コミックを、林遣人と桐谷美玲の主演で実写化。絶対に他人に借りを作らないことを信条とする大財閥の御曹司リクは、川で溺れかけたところを自称“金星人”のホームレス少女ニノに助けられる。リクは命を救われた借りを返すため、ニノの要求に応えて個性的な住人たちに囲まれながら荒川河川敷で暮らし始めるが……。2011年夏からドラマが放送され、続けて12年春に映画が劇場公開される。 ---映画.comより抜粋


予告編での余りのインパクト(主に山田孝之)から、中村光作品の一切を未読、アニメ・TVドラマ版も未見という完全なるAUTB童貞状態で鑑賞。ギョッとしてしまうようなビジュアルを初めとした設定を前に、「一体どんな話なんだろう?」というワクワクを持続させつつ、盛大に地雷を踏む覚悟も持って劇場へ向かいました。結果、この「童貞状態」は本作を楽しむのに奏功したと言えます。少なくとも、ドラマ版と並行して撮影が行われた上、序盤の殆どはドラマ版の総集編に等しい作りのようなので、TVドラマを観ていたら「退屈」と思わずには居られなかった筈です。

一言で表現すれば…

「言いたい事は山ほどあるが…憎めない!!」といった印象。

予告編初見時に「お、クロマニヨンズが主題歌!?…あ、ごめん50回転ズだった」と一人で赤っ恥をかいたのは完全に余談です。


※以下、多少のネタバレが含まれます※


巻き込まれ型ドタバタ人(?)情劇。その"ドタバタ"に観客までメタ的に巻き込んでやろうというハチャメチャな作品。このハチャメチャを一緒に楽しめねぇ奴は…


「ROCKじゃねぇ!」

金星人がどうとか河童の正体とか星がどうとか、そんな事をグダグダ言ってる奴は…

「そんな"ボーダーライン"は飛び越えて楽しめ!」


と開始からたっぷり5分を掛けて、観客に挑戦状を突きつけてきます。これを、キャラの掘り下げが浅く、全体に漂うチープなB級映画感のエクスキューズと捉えてしまったら、間違い無くこの作品には乗れないでしょう。当方は「童貞状態」が功を奏して「よっしゃ来い!」と、作中の河童さながらに、がっぷり四つで組み合う事が出来ました。

だからと言って、傑作!とか感動!とか誉めちぎる気にはさらさらなれないのも事実。明らかに登場人物が多過ぎて、一部キャラは殆どモブ化してしまっているし(この辺はTVドラマ版で補完されているようですが)、肝心の主人公の成長は非常に性急に描かれてしまっていて、いつの間にか河川敷の面々と勝手に打ち解け、いつの間にか「お金では買えないモノ」とやらを見つけたらしく、勝手に父親と対立する。しかも"ダラダラした立ち話で戦う"という驚愕のクライマックスを経て、勝手に勝利を手にする。リクはとにかく感情移入し辛いキャラになってしまっていて残念。

でも、これは後から読了して分かった事ですが、そもそも原作は連載での少ないページ数を笑いで敷き詰めた、キャラ頼みのギャグ漫画に他ならず、登場キャラの誰もが成長しない、サザエさん型のお話なんですよね。そんな原作が持つ、笑いの中のほんの僅かなペーソス感を必死に切り取って薄く伸ばしたら、こんな感じのお話になるだろうなぁと思うと、妙に合点がいってしましました。

そんな中でもキラリと光るキャラ付けが出来ていたのが、ヒロインである二ノ。原作よりキュートさを増していて感情の機微が見えるし、金星語の仕掛けなんかもなかなか秀逸。桐谷美玲の達者とは言い難い演技が逆にハマっていて素晴らしかったです。特に「こくごノート」に記された「わざとまけてくれた」には…!不覚にもホロリとさせられてしまいました。

その他にも「答えは風に吹かれてもいるが、水の中にあったりもする」的なセリフ遊びも良かったし、バーガー屋での"小栗旬一派"のシーンは不気味で惹き付けられたし、ラストでオープニングの"水中シーン"の謎を巧みに見せるあたりも…やっぱり憎めない!

それだけにクライマックスの描写のチープさは目に余るし、ドラマ版の再編集でしかない序盤はもう少し工夫を凝らせなかったものか。やはり「童貞」で本作に出会えたのは大きな幸運だったのでしょう。
様々な消化不良や説明不足でノリ切れない場合は、「そんなのROCKじゃねぇ!」と"ボーダーライン"の向こう側へ、自分を無理矢理にでも飛翔させられるかどうか。個人的には、「最前で暴れる程じゃないけど、このバンドは憎めないな」といった感じで、アマチュアバンドを小さいライブハウスで見守るようなノリで楽しむ事はできました。


最後にこれまた余談ですが、わざわざメッセージを活字で可視化してまで訴えかける手法は『モテキ』なんかでも多用されていて、最近のTV作品や邦画のポップ手法として流行ってるんですかね。