※当ブログの趣旨※

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某映画雑誌編集者との酒の席で「映画レビューを書くべき」と勧められ、「チラシの裏で良ければ」と開始した、基本は身内向けの長文ブログ。
決して知識が豊かとは言えないライト映画ファンが中の人です。

・作品を未見の方には、(極力ネタバレせず)劇場に足を運ぶか否かの指針になれば
・鑑賞済みの方には、少しでも作品を振り返る際の余韻の足しになれば

この2点が趣旨であり願いです。定期的にランキングは付けますが、作品ごとの点数付けはしません。
作品によってはDISが多めになります。気分を害されましたらご容赦下さい。
たまーに趣味であるギターや音楽、サッカー観戦録、スノーボードのお話なども登場します。

2012/02/26

長文映画レビューシリーズ 『キツツキと雨』




「南極料理人」の沖田修一監督が、無骨な木こりと気の弱い映画監督の出会いから生まれるドラマを役所広司と小栗旬の初共演で描く。とあるのどかな山村に、ある日突然、ゾンビ映画の撮影隊がやってくる。ひょんなことから撮影を手伝うことになった60歳の木こりの克彦と、その気弱さゆえにスタッフをまとめられず狼狽する25歳の新人監督・幸一は、互いに影響を与えあい、次第に変化をもたらしていく。



予告編からはジワジワと「これは……危ないかも」と自分の中の地雷探知機が警鐘を鳴らしていたものの、近所の劇場が割引デーだったのと、ネット上ではなかなかの好評となっている作品だったので、「これが面白かったら南極料理人も観よう」と決めて鑑賞。結果、逆の意味で『南国料理人』も観なければならないな、と決意しました。まぁ何と言うかですね……

ファンタジーならファンタジーって先に言っておいて!

年輩の客層が多めだったとは言え、劇場ではあちこちで笑い声が起こっていて、久々に世評との著しい乖離を実感しました。こういう状態になると「なんか頭デッカチになっちゃって、大事な感性どっかに落として来ちゃったかな…」と、非常に悲しい気持ちになるんですね。
なので、必死に冷静になって、沖田修一監督の人となりや本作のインタビューなんかを調べて、幾らかフォローする気持ちも湧いては来ました。でも……やっぱりおかしいよこの映画!!


※以下、多少のネタバレが含まれます※


役所さん演じる克彦の不器用な優しさや、高良健吾との不器用だけど確かな親子愛を見せる序盤は、むしろ楽しく観る事が出来ました。ただ純粋に楽しめたのはせいぜい開始5分程度。

オープニング早々、「はい?」の“テンドン”から始まるわけですが、ここから既に「くどいなぁ……」と暗雲が立ち込める展開。とにかく全体を通してテンポが鈍重。無駄にたっぷりと“間”を取るのですが、その“間”に対して物語がちっとも進行しないので、単に苛々させられるばかり。そもそもこういう“間”って、演出の緩急があってこそ初めて機能するものじゃないですか。本作、ずーーーっと緩みぱなし。文字通り“間延び”しているだけ。

何しろ劇中劇であるゾンビ映画のクォリティが酷過ぎるでしょ。「人口が激減して、ゾンビとの共存を探る近未来の話」って説明しといて、ババァが竹槍で“死ねぇ~~~!”って特攻する作品ですよ。あのさ、何でこの企画通ったの?
「撮影されるゾンビ映画が、自主映画っぽいB級感があって良い」ってレビューも目にしましたが、いやいや、この規模は自主映画のそれを軽く凌駕してますよ。メイクさんだけで数人準備出来ていて、ちゃんとフィルムで撮ってて、即興で“レール”が用意出来るくらいの設備も整ってる。おまけに村人がこぞって黄色い声を上げるくらいの大物俳優(山崎努)らしき人も配されてる。
つまり監督自身が手掛けたこの脚本を、何かしらの理由があって誰かが評価して、そこそこの予算を掛けて映画化してるわけでしょ?その必然性が全っ然わからない。映画の規模と内容が全く伴ってないんです。


映画監督である幸一(小栗旬)の背景をちっとも描かないのも問題で、ただでさえ感情移入し辛いキャラになっている(靴下を履くシーンで聞こえる“幻聴”は最後まで回収しないので、もはやイっちゃってる奴にすら見える)のに、この幸一君は……

・何故かクソつまらない脚本が通って映画化され
・それまでの経歴も一切分からないのに何故か監督に抜擢され
・やっぱり身の丈に合わなくて逃げ出そうとするヘタレだけどクビにはならず
・ちょっと本を誉めてくれた田舎のオッサンにほだされ
・そのオッサンの言いなりに進行してたら、何故か周りの大人が誉めてくれる

……と言う、超絶的に恵まれた環境で監督に祀り上げられた男なわけです。作中で描かれる“成長”って言ったら、せいぜい「よーい…ハイ!!」と「カット!!」をまともに言えるようになっただけ。それなのに例の大物俳優は「また呼んでよ」って声を掛けたりする。なんで?あれだけお尻を痛めながら、グダグダとした進行でワンカット撮るのにも苦労したのに(またこのシーンがくどいことくどいこと)。
要するに、映画監督である幸一が終始周りから甘やかされっぱなしの作品なわけです。

沖田監督のインタビューを鑑賞後に観るとよく分かります。言いたくないけどこの作品は、前作『南国料理人』で必死になって一本撮り終えて、色んな気苦労があった中で作品は評価された、沖田監督自身を作中の幸一に投影させてる映画なんですよね。キャリアもコミュ力も無いけど、たまたま理解ある人に支えられて一皮剥けるって話。気持ちは分かる。分かるけど、それがやりたいんだったらもうちょっと劇中劇のクォリティ考えましょうよ。

<結論>
これを「B級感が逆に良い」とか「アンニュイで心地良い」とか「良い意味でキッチュ」とか「ゆるふわ~」とか「ほんわか~」とか、よく分からない言葉でを無理矢理評価する論旨(荻上直子作品の評なんかによく見られる)には、当方は一切同感する事が出来ません。

「僕の才能は、乱暴で心無い映画製作現場従事者には分からない!素朴で純な心を持つ田舎のオッチャンにこそ理解されるんだ!こんな僕が作る映画は、例え題材がクソでも評価されるんだ!!」と言いたいだけの、超生温いファンタジーとしてのみ、鑑賞に耐え得る作品でございました。


冒頭に書いたとおり、これはいよいよ本気で『南国料理人』を鑑賞しなければいけなくなりました。や、本当に評価が高い作品なので、『キツツキと雨』がたまたまイレギュラーだっただけ、と信じてレンタルしたいと思います。