※当ブログの趣旨※
※当ブログの趣旨※
某映画雑誌編集者との酒の席で「映画レビューを書くべき」と勧められ、「チラシの裏で良ければ」と開始した、基本は身内向けの長文ブログ。
決して知識が豊かとは言えないライト映画ファンが中の人です。
・作品を未見の方には、(極力ネタバレせず)劇場に足を運ぶか否かの指針になれば
・鑑賞済みの方には、少しでも作品を振り返る際の余韻の足しになれば
この2点が趣旨であり願いです。定期的にランキングは付けますが、作品ごとの点数付けはしません。
作品によってはDISが多めになります。気分を害されましたらご容赦下さい。
たまーに趣味であるギターや音楽、サッカー観戦録、スノーボードのお話なども登場します。
2012/01/29
長文映画レビューシリーズ 『J・エドガー』
J・エドガー
「インセプション」のレオナルド・ディカプリオが、FBI初代長官ジョン・エドガー・フーバーに扮し、創設から50年もの間、そのトップに君臨し続けた権力者の隠された生涯を描く。監督は「ヒア アフター」のクリント・イーストウッド。共演は「フェア・ゲーム」のナオミ・ワッツ、「007/慰めの報酬」のジュディ・デンチ。---goo映画より抜粋
御年81歳にして、年1本のペースで映画を撮り続けるイーストウッドの最新作。リビング・レジェンドにして「アメリカ映画の体現者」が、今作はディカプリオとタッグを組んで、半世紀に渡り「アメリカの権力の中枢」として君臨した男を描く。となれば、観ない訳にはいかない。
『ミリオンダラー・ベイビー』や『グラン・トリノ』のスマートな語り口は大好きだけど、『インビクタス』まで行くとスマート過ぎて手に余るというか「あっさり薄味は胃に優しいですけど、もうちょっとスパイス効かせてくれても良いんじゃないですかね?」といった感想を覚えたのが当方のスタンスです。徹底してメッセージ性の強い作品を生みながら、物語の真の結末や未来は観客に委ねる。映画のラストと自分の実人生が地続きである事を感じさせてくれるような、「語り部」としての魅力溢れる監督であり俳優であると認識しております。
さて、ザッとレビューを拾ってみた感じだと、「ラストがあやふや!」とか「エドガー只の悪人じゃん!」といった否定的な意見も多い様子。そんな感想を抱かれるのも致し方なくて、やはり作中で明確な「答え」は提示されていません。情報量が過大で、いまいち乗れないのも分かるんです。ただ、あらゆる側面からJ・エドガー・フーバーという人物を映し出し、一筋縄では行かない解釈を投げかけてくる事は確か。それこそが本作の魅力であるし、FBI長官として君臨し続けた男の人生を、一筋縄で描ける訳が無いよな、と。どうやらイーストウッド自身も、インタビューでそんなような事を語っているようです。
※以下、多少のネタバレが含まれます※
今作もやはり物語の進行がスマート。年老いたエドガーが公式の回顧録を残すべく、記録員に語りかける形でストーリーを進めて行きます。50年分の歴史を振り返る訳ですから、必然的にセリフでの状況説明が多く、その情報量にギリギリ置いて行かれそうになりますが、序盤は細かにエドガーの「性質」が散りばめられていました。 平たく言えばマザコンで、潔癖で、"スピード"と呼ばれるエピソードに代表されるように、実は巨大なコンプレックスを抱えている(作中のディカプリオは本当に早口)。そこから生まれる極度なまでの他者不信と自己顕示欲。
これらの要素をハンカチや、苦笑いする姪っ子などのサラっとした配置によってスマートに表現する。巧いなぁ。『英国王のスピーチ』を連想するようなシーンもあり、言動は利己的・排他的そのものでありながら、当方はどんどんエドガーを憎めなくなっていきました。
チャールズ・リンドバーグの愛児誘拐事件から物語は本筋に突入し、エドガーも本格的な権力を身に纏って行きます。しかしその権力の誇示と反比例するかの様に、拳銃を手にしても発砲出来ない弱々しい姿、母にすら己の本質を拒絶される姿も並行して描き、キャラとしての掘り下げが深淵まで到達したところで、物語もクライマックスへ。
鏡に向かって「強くなれ、エドガー」と己に語りかけ、ネックレスを引き千切るシーンは、そこまでの描写の積み重ねにより、目頭を押さえざるを得ませんでした。
ラストでは新大統領の就任パレードから面会(チラっとワシントンの肖像画に目をやるエドガー、可愛い)に至るまでの件で、序盤との見事な対比を生みだしていますし、物語全体を円環構造で締め括る。やっぱりスマート!
「圧力」で全てを手にしてきた男が、「絶対に圧力に屈しない」と断言する"異性"に救われるシーン…最高じゃないですか?ずっと「Miss Gandy」と呼び続けた秘書(しかも、女性不信のキッカケとなったような女)を、「Helen」と呼ぶこのシーンにこそ、映画的カタルシスが溢れていたように思います。
細かなディテールも目を見張るものがあって、特にあらゆるシーンで鳴り響いている「電話」を、初めて画面上で遂に取った、その報せは…?なんて気の利いた演出をするか!と。これが老練の業というヤツでしょうか。白眉!
名作からの台詞を引用する等、要所でイーストウッドの「映画愛」を見て取る事が出来ますし、気付けばタバコ吸ってたりとか、本で椅子を高くしてみたりとか、女性の前ではどもりまっくたりとか、笑わせ所もふんだんに用意されていています。極めつけは『ソーシャル・ネットワーク』でウィンクルボス兄弟を見事に演じ切ったアーミー・ハマーとの"ウホッ"な展開。まぁ面構えから絶妙でこの役にピッタリですし、「I want you...」なんて言われてしまった日には噴き出しそうになりました(全力で誉めてます)。アーミー・ハマー、最高です。
"パブリック・エネミー"を作りだし、圧力でそれを抑えつけ、回顧録には自分に都合の良い記録しか残さないどころか、都合の悪い"何か"は脳内から抹消すらしている。エドガーは、まさしく「Official and Confidential」そのもの。そして、公私を共にした伴侶に"何か"を指摘される事で、「アメリカの権力の中枢」の物語は遂に幕を閉じる…。
繰り返しますが、決してエドガーを善悪どちらかに振り分ける事はしていません。その判断は今作も、映画から地続きの現代を生きる我々に投げかけられます。第一線で作品を創出し続ける「アメリカ映画の体現者」だからこそ説得力を帯びる、上質のストーリーテリングだったのではないでしょうか。
ポールが徐々に公開館を増やしているようですが、重厚なドラマを楽しみたいなら、『J・エドガー』も捨てがたい!楽しかった!!
2012/01/28
(いつも以上に)長文映画レビューシリーズ 『DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on』
DOCUMENTARY of AKB48 Show must go on 少女たちは傷つきながら夢を見る
女性アイドルグループ・AKB48に密着したドキュメンタリー第2弾。シングルCDではミリオンセラーを連発し、コンサートは3日間で9万人を動員するなど、彼女たちのすべてが変わった激動の2011年を、前作をしのぐ膨大な収録テープと独占インタビューでつむいでいく。監督は、「コネコノキモチ」の高橋栄樹。---goo映画より抜粋
いざ劇場版ドキュメンタリー第2弾の公開!というまさにその日に、AKB自体は古参メンバーの解雇劇が勃発。特に平嶋夏海の脱退は、『SLAM DUNK』で言えば木暮が湘北高校を退学するに等しく、グループ史上最悪の1日を展開していた模様。当方はそんな展開はつゆ知らず、某紙編集者M2さんと一緒に舞台挨拶を兼ねた上映を2回鑑賞して参りました。
当ブログでも以前少し触れたように、1年前に公開された前作のドキュメント映画は、殆どドキュメントの体を成していない、只のインタビュー集でしかなく、さほど鑑賞の価値は無いと評価しました。故に、今作も当たり障りの無いPV的作品に着地するのだろうと予想しておりました。実際、監督にはAKBのPV撮影監督でお馴染みの高橋栄樹氏でしたし。
…しかし、結論から言って本作は…
ドキュメンタリーとして、よく出来てる!!
…と言って差し支え無いと思っています。これはAKBへのパーソナルな思い入れ等は一切度外視しての評価。可能な限り客観性を持って出来事を切り取り、観客に伝えようという、作り手の「頑張り」を確かに感じ取る事が出来ました(あくまでカッコ付きの「頑張り」ではありますが)。それも、前作のような既存のファンへのサービス映像集ではなく、「外」の観客へ伝えよう、観てもらおうという意志が明らかに込められています。この「外」へのベクトルが最大限に評価したい点。
※以下、多少のネタバレが含まれます※
「総選挙やじゃんけん大会でのドラマ」
「過酷な夏のライブでのドタバタ過ぎる舞台裏」
「新チーム内の不祥事による葛藤」
そして、「震災」
2011年のAKBを取り巻いた数々の出来事を、「震災」との向き合いを柱にし、時系列順にメンバーのインタビューを挟みながら「そんなトコまでカメラ回したるなよ…」と言いたくなるレベルでメンバーに密着して記録。4部構成でこの1年を語ります。
ハッキリ言って、上記のような出来事は「震災」を除けば所詮マッチポンプでしかなく、幾らでも冷めた目で観る事は出来ます。おまけに、唯一の想定外であり同時に最大のテーマであった「震災」との向き合いにも、岩田華怜という仙台出身の研究生を象徴的に取りあげ、陸前高田の「一本松」へ、ある種フィクショナルに物語的な集束を作り出してしまうので、"これはドキュメンタリーですらない"とシビアに評価されても仕方無い作品でしょう。
それでも本作は、たとえAKBに興味の無い層でも一見の価値がある、引力を有した作品である事は間違いないと考えます。高橋監督は、そういった層の鑑賞に耐えられる作りにすると同時に、熱心なファンにも満足して貰える作りにしようと、相当腐心したのでは。とにかく観客を飽きさせないようにしよう、興味を持続してもらおうという「頑張り」が細部に見受けられました。
最もネームバリューのあるトピック「総選挙」の描き方が顕著。単純に前田敦子と大島優子の関係性を切り取って、これをクライマックスとするのではなく、二人の感動的なシーンの後に、指原莉乃と北原里英をコミカルに描く事で見事に緩急を付けてくれます。
本編を通して描写される被災地訪問の映像も、前田敦子のソロコンサートの音源をバックに纏める巧みさで、非常に印象的なシーンになっていますし、音楽の使い方は流石PV監督といったところで実に秀逸。北原の「How old are you?」だけはピチっとBGMを止めるなど、まぁ気配りが行き届いています。
ハイライトである西武ドームコンサートの舞台裏は「スタッフちゃんと段取りしとけよ…」と呆れ顔になりつつ、メンバー曰く"ホラー映画"さながらの様相を呈していて、これだけでも初見層にはかなりの迫力があるでしょう。"影アナ"で必死に盛り上げようとしている大島らチームKメンバーと、たった一人で、壁に向かって静かに心を整えようとしている悲壮な前田との対比などは、この事態を知っているファンに対しても、新鮮な切り口になっていたのではないでしょうか。
新チーム内のトラブルの件にしても、まずチーム結成のいきさつをちゃんと説明し、予め大場美奈の呑気な姿を見せておいて…という落差を、明らかに意識して作っていましたね。これも"親切な作り"だなぁと。監督、「頑張った」なぁと思わずにはいられないシーンでした。
被災地シーンは同じカットが使い回されていたり、わざわざ大場を一本松の下に立たせて物憂げな表情をさせたり、岩田に誰宛だか分からない、作り手が用意したとしか思えないような手紙を朗読させる等、ラスト付近は急にケレン味が出てしまっているのが非常に残念。このラスト近辺の作りだけで、あらゆる事柄をマッチポンプで感動的な美談に仕立て上げて、AKBという存在を全肯定しているだけに見えてしまう部分は否定できません。既定路線のレールが敷かれた上で、"身内の監督"として出来ることの限界も垣間見た気がします。
それでも、焦点の定まらない目でフラフラとチームAの円陣に加わる前田に、言葉にならない感情を抱いてしまうし、篠田麻里子の胸で号泣する大島のシーンに、会場のBGM『ここにいたこと』が奇跡的に聴こえてくるなど、ファンにとっては前作を優に凌駕する垂涎モノの映像集である事は疑う余地がありません。同時に『AKBの2011年』のしっかりとした振り返りと、『AKBってこんなグループ』という端的な説明をキッチリ両立させています。
本人達の不祥事も、大人達の不手際も、そして震災すらも飲み込んで、良くも悪くもエンタメ化してしまう、恐るべき現代のモンスターコンテンツを目撃するのに、こんなに適した作品はありません。是非劇場で観るべき!
今作の物語的集約点である、陸前高田の一本松は、皮肉にも保護の断念が決定し、枯れていくのを見守るしかない状況だそうです。
愛されるべき初期メンバーが自らの不手際で退場してしまったAKB48の道行を想いつつ、例に漏れずだらだらと駄文を綴ってしまった所存でございます。
ちなみに僕は、不覚にも島田晴香に泣かされてしまいました。
ちなみに僕は、不覚にも島田晴香に泣かされてしまいました。
2012/01/17
(いつも以上に)長文映画レビューシリーズ 『ヒミズ』
ヒミズ
「冷たい熱帯魚」の園子温監督が漫画家・古谷実(『行け!稲中卓球部』)の問題作を映画化。家庭環境に恵まれない少年と愛に飢えた少女、2人の中学生の青春を切れ味鋭い独自のタッチで描く。主演の染谷将太(「東京公園」)と二階堂ふみ(「指輪をはめたい」)は、本作でヴェネチア国際映画祭マルチェロ・マストロヤンニ賞を受賞。
---goo映画より抜粋
この映画への期待は別エントリーにてだらだらと綴りました。
スタンスとしては「古谷実作品で『ヒミズ』が一番好き!」「ここ数年の邦画では『愛のむきだし』が一番好き!」「だったら観るしかないでしょ!」と言ったところです。
それ故に、東日本大震災を受けて、大幅にプロットを書き変えたと聞いた時には、幾許かの不安が過ったのも事実。一度完全に原作を切り離して、1本の新作映画を観る心構えで2回鑑賞して参りました。
※以下、多少のネタバレが含まれます※
ざっとさらった周囲の評判を乱暴に纏めると…
・原作既読者は、ちょっと不満!
・未読者は、言いたい事はあるけど概ね好評!
・園子温ファン的には、賛否両論!
といった感じのようです。
園作品恒例の"殴り書き"も無く、被災地を横スクロールで映し出すタイトルバックから、過去のフィルモグラフィーと比較しても異質な肌触りで滑り出しますからね。
胃がキリキリ震える重低音、本当に"痛い"殴打音などを含め、音の使い方は流石。アンチ・ROOKIESとも取れるような先生の描き方や、やたらチンポジを直すでんでん、「脱原発」ドロップキック等、笑わせ所も多い。路上ライブシーンでの、ギターの絶妙な下手さ加減と、使ってるギターが某安価ブランドっていうのもマッチしていて最高。そして何より、役者陣の熱演(特に染谷将太)を引き出した点は評価されるべきでしょう。「カップルのデートの仕上げにいかがですか!?」は、『恋の罪』の「美味しいですよ!いかがですか!?」を思い出してニヤリとしてしまいました。
住田が一線を越えるシーン、クレーンを使った長回しは画的に素晴らしかったですね。ゾクっとしました。この撮り方が今作のハイライトだった。
…さて、先に良い点を列挙しましたが、この映画、原作モノである事を差し引いても、やはり 失敗 していると言わざるを得ません。
ヴィヨンの詩の朗読から始まるオープニングから、基本的に茶沢さん視点で物語が動いて行く…のかと思いきやそんな事もなく、"絞首台"の扱いに顕著なように、キャラとしての掘り下げが中途半端で投げっぱなし。住田は住田で、「普通、最高!!」と思ってる奴が、それを授業中に教室で叫ぶか?という謎っぷりを存分に見せつけ、傘を貸してくれた茶沢さんが土手を転落してもヘラヘラと見捨てようとするわ、一線を越えてからは『ドラゴンヘッド』並みに狂気の沙汰で街を徘徊するわ(普通に捕まるでしょ)…。もう全く感情移入が出来ないんですね。
何より問題なのは、懸念した通り「震災」の物語への組み込み方が無理矢理で粗暴と言わざるを得ないこと。
類推するに、かなり被災地の只中での物語に見えるが、このボート屋、船流されずに済んだの?近くに納屋らしきものが流されて来ているのに、この土手は無事だったの?流された納屋を見ながら感傷に浸って居るのに、家失ったからってそこで生活しようとする?って言うか被災直後(5月と物語上で言わせてしまっている)川でボート乗ろうとする奴居る?仮にも震災前に社長をやってた人間が、ちょっと棲家を分け与えてくれたからって、中学生をさん付けまでして敬う?只のクソ生意気なガキに「これからの日本を託す男なんです!」なんてどうやったら思えるの?吹越&神楽坂夫婦の背景どうなってんの?「帰って来なくていいよー」って何さ?園映画オールスターにしたいだけじゃないの?などなど…まぁツッコミどころは枚挙に暇がありません。
今、震災を描くんだ!という志が、お話を纏めきれなかったエクスキューズにしか聞こえなくなってしまうほど、描き方が浅薄としか言いようがない。震災を題材にするならオリジナルの別作品にして、じっくり練り上げるべきだったのではないでしょうか。
※以下、さらにネタバレが入ります※
そして「失敗」と断言してしまうほど個人的評価を著しく低下させたのは、やはりラストの演出です。
被災地の映像をバックに「頑張れ!」というメッセージを届けたいなら、さも住田が死んだように見える、ノイズとしか言いようの無い演出は絶対にすべきじゃない。最後の銃声の後、住田は何処で何をしていたんでしょう?原作との差別化を図る為に、ミスリードをしてるとしか思えませんでした。監督の言葉を借りて「青春映画」にしたかったなら、空に向かって残弾を全部撃って、拳銃を投げ捨てるくらいの、爽快な演出に何故しなかったんだろう。
この疑問を解消すべく、「4発目(茶沢さんが目を覚ます発砲音)で住田は実は死んでいて、その後の住田は茶沢さんの妄想なのではないか?茶沢さんが見たかった、"走ってる住田"しか見えてないのではないか?だから住田はオウム返しでしか反応しないのではないか(なんか言え!というセリフとも整合性が取れる)?そうか、意味不明だった"五つの石の呪い"で、メン●ラ茶沢さん自身が呪われちゃった話だったんだ!」と、一人で勝手に解釈を決めつけて家路に着きました。
普段の園作品なら、多少脚本の粗があっても、画の構成と役者の芝居で全てを振り切ってしまえるだけの"テンション"が確実にあったと思う。それも今作は「震災」を無理矢理組み込んでしまった事で、その"テンション"をも減衰させてしまっているし、日本的寂寥で少年の孤独を描く古谷作品と、クリスチャン的に大きく大きく物語を動かそうとする園監督との食い合わせの悪さも発露してしまっている。
<結論>
・「震災」の組み込み方が中途半端で非常に浅薄
・古谷実と園子温の作家性の食い合わせが悪い
=「青春映画」にも「震災の記録」にもなり得ない、どっちつかずの作品に着地してしまった。
原作の熱狂的なファンからするともっともっと言いたい事はあるのだがグっと堪えてます。残念。非常に残念。
やっぱり僕は………
ポールが大好きなんだ!!!
2012/01/15
映画『ヒミズ』への期待と不安
漫画家・古谷実が、突如「笑い」を捨てて、シリアス路線に舵を切った問題作である『ヒミズ』が、『愛のむきだし』『冷たい熱帯魚』でお馴染みの園子温監督で映画化される、と聞いたときには、心が躍った。久々に前売り券をゲットしようかと思案するほど、漫画『ヒミズ』と監督『園子温』には思い入れがある。
『行け!稲中卓球部』『僕といっしょ』『グリーンヒル』のギャグ漫画3作で、古谷実は徐々に作家としての独自色を強めて行く。『稲中』では語彙のチョイスと絵のインパクトで笑わせていたのが、『僕といっしょ』では抗いようの無い「大人の世界」を最終回に至るまで徹底して描き、『グリーンヒル』では面倒臭い「大人の社会」に何とか順応しようと登場人物達がもがく。3作とも鋭いギャグ描写と並行して、少年の抱える閉塞感を背景にしていた。
『ヒミズ』からギャグを排し、『シガテラ』では遂に主人公が面倒な大人の社会に適合し「つまらない大人」へ到達する姿を描く。『グリーンヒル』で「人生最大の敵・面倒臭い」に打ち勝とうとゴロゴロしていた主人公が、『シガテラ』ではギリギリの非日常を体感した青春時代から、幾許かの虚しさを抱えながらも「つまらない大人」に成長する。『ヒミズ』は、丁度その成長途上にある物語とも言える。
『ヒミズ』の主人公・住田は、中学生としては実にクレバーだ。夢見がちなこの年頃の同級生達とは一線を画し、普通に社会に適合し、普通の大人になる事こそが最良であると信じている。自分が凡庸な人間である事を自覚し、身の丈に合った将来を目指しながら、しかし「普通の大人」になる事がいかに困難であるかも理解している。理解しているからこそ、自らの境遇が「普通」から逸脱しつつある事を敏感に察知してしまう。父親という、血縁で繋がれた逃れようのない「今の境遇の原因」と接触してしまった時に、住田は完全に「普通」のレールから脱落してしまう。ずるずると「病」を患った住田はその治癒を果たす事が出来ず、ラストでは「面倒臭い」と対峙する事を放棄してしまう。
決してフィクショナルな仰々しい不幸が彼に降り掛かるわけでは無い。作中のセリフにある通り、第三者からすれば10年後には笑って話せる程度の問題なのだが、本人にしてみれば不治の病なのだ。センシティブなこの時期の少年の描き方としての絶対的なリアルがある。だからこそ当方の様な、特別な非日常を体験していない自堕落人間にとっては「これは俺の物語!」と太鼓判を打ちたくなる傑作たらしめている。
そんなオールタイムベスト級の漫画を、『愛のむきだし』という、これまたオールタイムベスト級の映画作品を生み出した園子温が監督するというのだから、期待するなと言う方が無理な話である。物語を構築する手腕はさて置き(90分で纏められる話を240分かけて演出するタイプの監督だからだ)、役者陣から魂の演技を引き出す事に関しては右に出る者は居ないのではないか。『愛のむきだし』の、あの満島ひかりの号泣シーンは鮮烈に脳裏に焼き付いている。
しかし原作モノを映画化するにあたり、その原作ファンとしてはどうしても作品へのハードルが高くなってしまうのは、如何んともし難いジレンマだ。まして今作は撮影中に東日本大震災が発生した事で、物語の根幹を大きく変更しているというのだ。詳しくは園監督のインタビューを参照して頂きたい。
要するに、独力ではどうしようもない圧倒的な不幸が、主人公達に降り掛かってしまっているのである。恐らくはそこから立ち直る青春映画に舵を切り直したのであろう。あの震災を受けて、「無かった事には出来ない」という園監督の志には敬服する。今の日本で震災に真っ向から向き合った作品は是非観てみたい。
だが、こと『ヒミズ』を描く場合、この圧倒的な不幸は「ほんの些細な非日常から、少年が逸脱していく」物語と相反するものだ。古谷作品独特の、何故か魅力的な女性が凡庸な主人公に惹かれる不思議設定に、女性側の事情をストーリーに付け加えたのはまだ良いが、「震災」はこの物語の器にはとても納まりきらない。故に、主にラストに関しては大幅な「修正」が入る事が予想される。あのラストを改変する事は、原作ファンからしてみれば、ほぼ別の物語へ豹変してしまうに等しい。
「それでも園子温なら…園子温なら何とかしてくれる!」と、陵南高校のベンチメンバーが仙道に向ける熱い眼差しと同様に、当方もこの作品への期待を覆す事はないが、原作とは別物として割り切って観る覚悟は必須となりそうだ。鑑賞後、「必見!!!」と当ブログで、懲りずに読み辛い長文を綴る事が出来る事を願うばかりである。
『行け!稲中卓球部』『僕といっしょ』『グリーンヒル』のギャグ漫画3作で、古谷実は徐々に作家としての独自色を強めて行く。『稲中』では語彙のチョイスと絵のインパクトで笑わせていたのが、『僕といっしょ』では抗いようの無い「大人の世界」を最終回に至るまで徹底して描き、『グリーンヒル』では面倒臭い「大人の社会」に何とか順応しようと登場人物達がもがく。3作とも鋭いギャグ描写と並行して、少年の抱える閉塞感を背景にしていた。
『ヒミズ』からギャグを排し、『シガテラ』では遂に主人公が面倒な大人の社会に適合し「つまらない大人」へ到達する姿を描く。『グリーンヒル』で「人生最大の敵・面倒臭い」に打ち勝とうとゴロゴロしていた主人公が、『シガテラ』ではギリギリの非日常を体感した青春時代から、幾許かの虚しさを抱えながらも「つまらない大人」に成長する。『ヒミズ』は、丁度その成長途上にある物語とも言える。
『ヒミズ』の主人公・住田は、中学生としては実にクレバーだ。夢見がちなこの年頃の同級生達とは一線を画し、普通に社会に適合し、普通の大人になる事こそが最良であると信じている。自分が凡庸な人間である事を自覚し、身の丈に合った将来を目指しながら、しかし「普通の大人」になる事がいかに困難であるかも理解している。理解しているからこそ、自らの境遇が「普通」から逸脱しつつある事を敏感に察知してしまう。父親という、血縁で繋がれた逃れようのない「今の境遇の原因」と接触してしまった時に、住田は完全に「普通」のレールから脱落してしまう。ずるずると「病」を患った住田はその治癒を果たす事が出来ず、ラストでは「面倒臭い」と対峙する事を放棄してしまう。
決してフィクショナルな仰々しい不幸が彼に降り掛かるわけでは無い。作中のセリフにある通り、第三者からすれば10年後には笑って話せる程度の問題なのだが、本人にしてみれば不治の病なのだ。センシティブなこの時期の少年の描き方としての絶対的なリアルがある。だからこそ当方の様な、特別な非日常を体験していない自堕落人間にとっては「これは俺の物語!」と太鼓判を打ちたくなる傑作たらしめている。
そんなオールタイムベスト級の漫画を、『愛のむきだし』という、これまたオールタイムベスト級の映画作品を生み出した園子温が監督するというのだから、期待するなと言う方が無理な話である。物語を構築する手腕はさて置き(90分で纏められる話を240分かけて演出するタイプの監督だからだ)、役者陣から魂の演技を引き出す事に関しては右に出る者は居ないのではないか。『愛のむきだし』の、あの満島ひかりの号泣シーンは鮮烈に脳裏に焼き付いている。
しかし原作モノを映画化するにあたり、その原作ファンとしてはどうしても作品へのハードルが高くなってしまうのは、如何んともし難いジレンマだ。まして今作は撮影中に東日本大震災が発生した事で、物語の根幹を大きく変更しているというのだ。詳しくは園監督のインタビューを参照して頂きたい。
要するに、独力ではどうしようもない圧倒的な不幸が、主人公達に降り掛かってしまっているのである。恐らくはそこから立ち直る青春映画に舵を切り直したのであろう。あの震災を受けて、「無かった事には出来ない」という園監督の志には敬服する。今の日本で震災に真っ向から向き合った作品は是非観てみたい。
だが、こと『ヒミズ』を描く場合、この圧倒的な不幸は「ほんの些細な非日常から、少年が逸脱していく」物語と相反するものだ。古谷作品独特の、何故か魅力的な女性が凡庸な主人公に惹かれる不思議設定に、女性側の事情をストーリーに付け加えたのはまだ良いが、「震災」はこの物語の器にはとても納まりきらない。故に、主にラストに関しては大幅な「修正」が入る事が予想される。あのラストを改変する事は、原作ファンからしてみれば、ほぼ別の物語へ豹変してしまうに等しい。
「それでも園子温なら…園子温なら何とかしてくれる!」と、陵南高校のベンチメンバーが仙道に向ける熱い眼差しと同様に、当方もこの作品への期待を覆す事はないが、原作とは別物として割り切って観る覚悟は必須となりそうだ。鑑賞後、「必見!!!」と当ブログで、懲りずに読み辛い長文を綴る事が出来る事を願うばかりである。
2012/01/13
長文映画レビューシリーズ 『哀しき獣』
哀しき獣
中国延辺朝鮮族自治州でタクシー運転手としてまじめに働いているグナム。しかし、妻を韓国に出稼ぎに出した際に作った借金の取り立てに追われ、さらには妻からの音信も途絶えてしまう。借金を返そうと賭博に手を出し逃げ場を失ったグナムは、殺人請負業者のミョンに、韓国へ行ってある人物を殺したら借金を帳消しにする、と持ちかけられる。グナムは悩んだ末、借金を返すため、そして妻に会うため密航船で韓国に向かう……。
---goo映画より抜粋
あちらこちらで絶賛の嵐を巻き起こしている、ナ・ホンジン監督の長編2作目。原題は『黄海』。
前作『チェイサー』の主要どころをそのまま起用して、逃亡者と追跡者を入れ替えた構成。良くも悪くもいつもの韓国映画ではありますが、これが監督2作品目とは到底思えない演出力は圧巻の一言でしょう。
サイゾーのレビューがカッチリ巧い事まとめてくれてますし、周りを見渡しても押し並べて絶賛ムードですが…
※以下、多少のネタバレ含みます※
『息もできない』と同様、どうしようもない孤独に苛まれた男が、ほんの僅かな光明へ最後の望みを賭ける、ボンクラのラストダンス。
『チェイサー』に引き続き、リアルクライムをゴア表現も厭わず(ライト目ではあり、多少の修正も入ってます)徹底して描き切った作品にも関わらず、間抜けな警察どもは相変わらずで、わざわざこの作品をチョイスして新宿に集まった観客(平日夜にしてはなかなかの入り)からは、ところどころで笑い声も起こっていました。
音楽の使い方を含め、演出は相当に良いです。名物の逃走シーンもさる事ながら、アクションシーンでは非常にきめ細やかにカットを割って、カメラを揺らし、これでもかと疾走感を出してくれます。グラグラのカメラは、二つの目的の狭間でどっち付かずで揺れ動く主人公の心象風景の表現としてバッチリでしょう。何処に行っても割れてしまっている写真入れも、象徴的で良いギミックでした。
しかしながら冒頭で匂わせた通り、当方は本作を「絶賛!!」とまで言い切る事が出来ずに居ます。
只のタクシー運転手が、タガが外れたとは言え、なんぼなんでも無敵過ぎやしないか?とか、キム・ユンソク不死身だろこれ…とか、なんかもう強さがインフレし過ぎてドラゴンボール化してないか?とか、多々思う所はあるのですが、主に中盤で敵役の思惑が交差し過ぎて、「何やってるかよく分からん」状態に陥ってしまったのが致命的でした。恐らく脚本の問題と、当方の読解力の低さとが双方作用していると思われますが、"三竦み"で物語が入り乱れる展開は、かなり高速での頭の回転を要求されました。敵役の狙いが分かりづらく、物語から置いてけぼりを食らった様な感覚を、悔しい事に覚えてしまったんですね。
それも、独力では抗う事が出来ない流れに翻弄されてしまう主人公・グナムと、観客とをシンクロさせる為にワザとやっている可能性もあって、一概に否定する事を許してくれない奥深さが、本作には確実にあります。
とにかくグナムにはグイグイ惹き込まれますね。二兎を追い、一兎も得る事が出来ず、被弾した極寒の山奥で思わず号泣してしまうシーンは、こちらも涙がこみ上げてしまう。全てを失って、最終的に主人公が取る行動は、そこまでグナムの描き方に隙が無いからこそ、言いようの無い説得力を帯びていました。まして憎むべき復讐対象も、自分と同じ動機で動いていたと知った日には…。
そう、敵側も決して記号的にはならず、圧倒的な権力を誇っている様で実際は脆弱で孤立している社長、対照的に不気味な武力を隠し持っている様で実は裸一貫で敵を薙ぎ倒して行く不死身ボスと、魅力溢れるキャラクターの躍動は大きな見所でしょう。まさに哀しき獣たちの生存競争をまざまざと見せつけられました。
あとはもう好き好きの問題で、個人的にはやっぱり一縷の救いも無いエンターテイメントは、どうしても好きになれない。今作は『息もできない』以上に救いが無い。自業自得とは言え、グナムがあまりにも、あまりにも不憫過ぎる。
観終わった後に、腹の底にズシンと何かが残る傑作である事は間違いありません。『朝鮮族』という人々の存在、原題であり第4章の章題でもある『黄海』の持つ意味、それらを是非とも劇場で体感して頂きたい、(ゴア表現に耐性があれば)誰にでも薦められる1本です。
…それでも僕は……
ポールが大好きだ!!
2012/01/12
長文映画レビューシリーズ 『宇宙人ポール』
宇宙人ポール
「ホット・ファズ 俺たちスーパーポリスメン!」のコンビ、サイモン・ペッグ、ニック・フロストが脚本、主演を兼任したSFコメディ。地球にやって来てから60年間、アメリカ政府に拘束されていた宇宙人が脱走、イギリス人のオタクコンビと出会ったことで、騒動が巻き起こる。数々のSF映画に対するオマージュ、パロディが満載。
---goo映画より抜粋
あまりの評判の高さと、『ホット・ファズ』のコンビならハズレはないだろうという事で、久々に『未知との遭遇』的体感を味わえるのかと胸を奮わせつつ、そうは言っても類型的なジャンル映画の枠を出るものではないのだろうと過度の期待は避け鑑賞。
結果……大満足!!早くも(公開スタートは去年だが)今年ベスト級の作品なのでは??と興奮冷めやらぬ内にレビューを綴る次第です。
※以下多少のネタバレを含みます※
『ホット・ファズ』を鑑賞済みであれば、オタク臭全開の導入部から「またあの2人に会えた!!」とアガる展開。更にはこれでもかとつるべ打ちされる、名作映画へのオマージュの連発。映画ファンならニヤリとしてしまう事は間違いありません。
間違いないのですが、「名作へのオマージュ・パロディが満載!」と、さも観客の鑑賞歴を問うようなPRを前面に押し出していますので、これがハードルとなってしまい、足を向けづらい層も少なからず居るのではないでしょうか。「SFとかそんなに観ないし…」と。
でも…
そんなの全っっっ然関係ない!!
特に物語が本筋に突入する『ポール』登場後は、息もつかせぬ展開の連続で、まぁ飽きる事がありません。
ポスターで窺える通り、このポールが「エイリアン」と聞いたら誰もが思い浮かべる様な、とことん記号的”グレイ”なルックスなのがまず良いんですね。中身は長らく監禁されてすっかりアメリカナイズされた、どこにでも居そうなオッサンで、でも実は心優しくリベラル。愛さずにはいられないキャラとしてちゃんと成立していて、これは当たり前のようでとても大事なファクターを、お釣りたっぷりでクリアしてくれています。
とにかくラストまで秒単位で笑わせてくれるし、泣かせてくれるし、敬虔なクリスチャンに代表されるアメリカへのメタファーもあり(ポール自体が『良きアメリカ』の体現者と言ってもいいかもしれない)、進行している物語自体はシンプルこの上ないのに、ただならぬ懐の深さを見せてくれています。
極めつけは、今まさに別れを迎えようとしている時に放つ、ポールの「●●●●でごめんなー!」というセリフ。このセリフで個人的には「はい、オールタイムベスト級の名作!決定!!」と太鼓判を押しました。あれだけ壮大なオマージュを込めた感動的シーンでありながら、この一言でスカす間とタイミング、最高!
こんなにニヤニヤしながらエンドロールを見送った映画は、他にはちょっと記憶にありません。
全く物申したいポイントが無いとは言えません。
結局ポールを追ってた組織って何なの?無線盗聴され過ぎじゃね?というか無能過ぎじゃね?先回りすればよくね?お父さん無敵過ぎじゃね?などなど。最も気になったのは、クライマックスのあるバトルが、ちょっとお遊び感が強過ぎ切迫感が無さ過ぎる点。その後、少々シリアスな展開となるだけに、もう少しこのバトルで真剣に「命の危機」を表現して、続くシーンへの落差を付けて欲しかったところ。
そんなツッコミどころをぜーーんぶチャラにしてしまうくらい、前述したポールのセリフが秀逸でしたし、良く出来た傑作だと思います。
加えて『E.T.』『M.I.B』『スターウォーズ』『イージー・ライダー』『ベストキッド』『インディージョーンズ』『ロレンツォのオイル』あたりに思い入れのある人なら、ポールの瞬き一つからセリフの隅々まで、存分に楽しめる事は確か(漫画ファンなら『鋼の錬金術士』や『HUNTER×HUNTER』もイメージできるかも)。特にスピルバーグへの寵愛とも言えるリスペクトに満ちていますので、最低限『未知との遭遇』だけでも観返しておけば、よりクライマックスで乗れて、笑い泣きできるでしょう。死にそうなのに「帝国の逆襲Tシャツがー!!」と嘆くアイツを愛さずには居られません。
名作への最大限のリスペクトであり、下らない駄洒落であり、SFでありラブコメでありロードムービーであり「ウホッ」でもある。これだけ多彩な要素を詰め込んでおきながら、100分強というコンパクトな尺!非の打ち所無し!!
結論:必 見 !!!!
個人的には、ボブ・ディランはちゃんと存命していると信じたいところです。
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